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2008年05月22日
フィットネスの先駆者:ジャック・ラレーン93歳
筋肉隆々の腕をもち、青いつなぎ姿でテレビに登場する黒髪の
ジャック・ラレーンを、30歳以上のアメリカ人なら、
誰でも知っているでしょう。
ジャックは脚上げ運動や、1本の腕の指立て伏せをやって見せ、
視聴者にも同じことをするよう主張していた人物です。
1951年から1985年に放送されたジャック・ラレーンの番組は、
テレビで初めてのエクササイズ番組でした。
「生活すること自体が競技種目ですよ。
運動してください。きちんと正しい食生活を送ってください。
そして目標を持って挑戦し、決して満足しないでください」
とジャックは言います。
現在でも、YouTubeのおかげで、以前に放送された
ジャックの番組を視聴することができます。
2007年にジャックが出演したトーク番組も同様です。
ジャックは93歳になった今でも、運動と栄養の重要性を、自分の身体で証明して見せています。ジャックと妻エレイン(エレインはフィットネス
本の著書でもあります)は今でも、講演などで多忙な毎日を過ごし、
仕事をしていない時は、カリフォルニア海岸沿いの家で生活を
楽しんでいます。
ジャックはフィットネスの創始者と呼ばれていますが、同時に、
スポーツクラブ業界でも、史上最も偉大な指導者と考えられています。
「フィットネスの先駆者」という言葉がふさわしいでしょう。
現在は当たり前となったフィットネスに関連する知識についても、
彼は75年以上も前から唱え続けています。
現在では、医師や専門家の誰もが口を揃えて、計画的な運動と適切な食生活が健康的な生活のカギであると提唱しています。
ジャックはこう言っています。
「生活すること自体が競技種目ですよ。
運動してください。きちんと正しい食生活を送ってください。
そして目標を持って挑戦し、決して満足しないでください。
私はこれまでの人生で満足したことはありません。
常に向上心を持ち続けています。」
しかしエクササイズがで充実した生活の一部であると考えられる前、
この考えを植えつけるのは大変なことでした。
1936年、ジャックがカリフォルニアのオークランドに最初のスポーツ
クラブをオープンした時、人々は彼のことを正気ではないと
思ったそうです。
ジャックは鍛冶屋の力を借りて、脚を伸展させるマシンや調節が可能なウェイトマシンを作りあげました。
そして女性や老人に重量挙げをやらせ、スポーツクラブを男女共用に
しました。また、ジャックは運動と同様、健康的な栄養状態の
重要性についても強く主張しました。
サンフランシスコで育ったジャックは、青年期には砂糖中毒だった
せいで、怒りやすく頭痛持ちだったと言います。
15歳の時、人生の転機が訪れました。ポール・ブラッグが健康と
栄養について話しているのを聞いたのです。
その日からジャックは運動と食生活に対して、重点的に取り組み始めたのです。
「人工のものは食べるな」がジャックのモットーです。
彼は毎日、10種類の野菜とたくさんのフルーツや全粒パンを
食べています。またプロテインは固ゆで卵の白身や魚から
摂取しています。時々、おやつにアボカド入り全粒小麦の
ターキーサンドウィッチを食べます。
脂肪や砂糖は避けますが、赤ワインは飲んでもいいそうです。
「私は結局はフランス人なんですね」とフランス移民の彼は言います。
高齢者に対しては以下のようにアドバイスをくれました。
「運動してください。運動に時間を割いてください。
20分~25分を週3~4回、自分のために動けないのなら、
病気になってしまいますよ。」
昔、ジャックは何度も人々をあっと驚かせる挑戦をしました。
70歳の時には、63キロの器具をつけてゴールデン・ゲートブリッジの
下を泳ぎ、テレビ番組「You Asked for It」では、23分間で1033回の腕立て伏せをして世界記録を樹立しました。
しかし現在はもう、こんな無茶なことはやっていないそうです。
ジャックは冗談めかしながら、次に挑戦した時は、妻エレインに離婚されるからだと話します。しかし、いまだに過酷な運動は続けています。
毎朝2時間は運動の時間に当てています。1時間半ウェイトトレーニングをして、30分プールで泳ぐのです。
「自分がどれぐらい現在の状態を維持できるか興味がありますね」
とジャックは言います。
ジャックは、人間は少なくとも120歳まで生きることができ、最終的には
150歳まで生きるはずだと信じているのです。
彼はこう言っています。
「今後は従来にも増して100歳まで生きる人が増えるでしょう。
100歳まで生きている人の大半は、自分の容姿や食事に対して
かなり気をつけて、常にアクティブに過ごしている人です。
私はあとどれだけ生きられるかは気にしていません。
ただ、生きている間は精力的に過ごしたいのです。
トレーニングや講演など、私がやらなければいけないことが
できる自分でありたいのです。」
ジャックは、運動と健康的な食生活の素晴らしさを信じています。
そして、生きることに対する彼の純粋な熱意と意欲が、
次の信じる人を生み出すのです。
ジャックは話す時、いつも次のような言葉で締めくくります。
「あなたがやるだけやってみれば、何もかも可能なのです。
生きることは労働です。死ぬのは簡単です。」
投稿者 : kenkoo 13:52 | トラックバック (0)
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2007年04月24日
生涯、学び続けるマイアヴィン・H・エルスタッド医師
“マイアヴィン・エルスタッド”という名前は心臓病学の草分け的存在として世界的に知られています。
エルスタッド医師は過去50年にわたり、心臓病の研究と治療の分野でリーダーとして活躍してきました。
しかし彼は、単に尊敬を集める心臓内科医というだけではありません。
故郷のカリフォルニア州では、作家、マイホームパパ、人類学ファン、
地域活動に積極的な住民、多才で偉大な人物としても有名なのです
事実、彼は84歳という年齢にもかかわらず、じっとしていることが
ありません。
カリフォルニア州にあるロングビーチ記念病院で心臓研究所所長を
務め、また個人開業医として心臓疾患の治療も行う傍ら、
定期的にテニスを楽しみ、世界を旅行し、
妻、8人のこども、そして7人の孫と過ごす時間も大切にしています。
エルスタッド医師は「時間は作るからあるのです。それに私は睡眠時間は少なくても大丈夫なのです」と語ります。
若い頃から彼の生活は多忙を極めていました。
カリフォルニア州の小さな町、アーバンで育った彼は、
陸上競技、バスケットボール、スキーが得意で、
ボーイスカウトや地域のダンスバンドでも活動していました。
また250匹のウサギを育てて販売するなど、家でも仕事をして
いました。
エルスタッド医師は次のように語ります。
「こどもとしては自由だった方ですが、両親からは大きな期待をかけられていました。
私には責任のある仕事を与えるべきだという強い信念を父は持っていたのです。」
エルスタッド医師の専門家として野望は、こども時代に起因しています。
彼は次のように述べています。
「私は7歳の時、連鎖球菌感染症を患いました。
しかし町で唯一の医師が、私のことを“腎臓病で心臓の働きも弱い”と診断したため、
数カ月間、ベッドでの安静を強制されました。
最終的にはマックス・ドゥノヴィッツという別の医師によって、安静にする必要はないと診断されました。
言うまでもなく、マックスは私のヒーローとなり、大人になったら彼のような医師になりたいと思いました。」
そして、それは実現しました。
彼は医学部を卒業すると軍医になり、心臓病治療のパイオニアとして
活躍。
生涯を通じ、患者を元の健康な状態に戻すための新しい方法を探してきました。
若い頃は、未知のことを学べる機会や、新しい治療法を見つける
チャンスがあるならと、継続的に先端の任務に取り組んできました。
その結果、彼は現在までに数々の目覚しい医学革命を実現しました。
彼が行った医療の例:
○心臓の開胸手術に初めて血液バンクを活用
○大腿静脈を使って永久ペースメーカーを埋め込む方法を開発
○加齢の要因に関して多臓器で評価する研究所の設立
○胸痛患者のトリアージにおいて炎症マーカー検査を導入
エルスタッド医師は言います。
「心臓病研究に携われたことを誇りに思います。
ある問題を解決するために、常に違う答えや方法を模索してしまうのです。これが私の性格です。」
患者のために常に新しい治療法を探し求めた結果、
彼は心臓ストレス検査の第一人者となりました。
これは患者の心臓がどれほどの運動量に耐えられるのか判断し、
心臓病の重症度を予見するための検査です。
現在、彼の著書「Stress Testing Principles and Practice(ストレス検査の理念と実践)」の第5版は、
心臓病学の学生にとって必須の書物となっています。
彼の人生の中心は“研究と患者”です。
しかし彼はは40年連れ添った妻レラのおかげで成功できたのだと
語ります。
「妻は私に強さを与えてくれる大切な源です。
常に患者が優先される医師の妻でいることは、大変なことだと思います。
しかしレラは、いつも私の支えになってくれました。」
エルスタッド医師は医療行為とは別に、
学ぶことにも情熱を注いできました。
世界を旅して人類学的に重要な土地を訪れました。
特にガラパゴス諸島など、ダーウィンや人間の進化の歴史にかかわりのある土地は重点的に訪問しています。
これらの旅からアイデアを得て書かれた彼の著書「The World and Its Animals(世界の動物たち)」は、
10歳の孫娘の好奇心にも影響を受けています。
孫娘は、彼と同じくらい学ぶことが大好きで聡明な少女です。
エルスタッド医師は、次のように述べています。
「若い心臓内科医たちには、学習は生涯のものだということを伝えたい
ですね。
医学部を終了した時点で学習が終わるわけではありません。
個々の患者からも何かを学べるはずです。
学び続けることで、何か新しい知識を医学界に提供することもできます。
私は自分の人生が、いい手本になるように努力しているのです。」
投稿者 : kenkoo 13:14 | トラックバック (0)
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2007年02月15日
皮膚科医 マリー=ルイーズ・ジョンソン博士
ケネス・ジョンソン博士は、妻に引退して第一線から身を引くよう勧めるつもりでいましたが、その考えを改めました。
博士は次のように語りました。
「妻が引退して患者から離れるためには、もっと興味を持てて、やりがいのある何かが必要だと思っていました。」
彼の妻であるマリー=ルイーズ・ジョンソン博士は76歳。ニューヨーク州キングストンで開業する皮膚科医です。しかし初診の場合は1年以上待たなければ、彼女の診察を受けることができません。
彼女の夫は、尊敬を集めている心臓内科医であり、コンサルタントで公衆衛生分野の権威でもあります。患者が彼女を求める理由を、彼は次のように考えています。
「妻は思いやりのある人物で、近所の住民や患者、同僚にも慕われています。目の前にいる人が快適な生活を送っているか、気遣う妻の思いが伝わっているのでしょう。」
●盛況な診療以外の活動
患者の診察はマリー=ルイーズ・ジョンソン博士が、医師として行う数ある活動の1つに過ぎません。その活動範囲は患者の直接診察だけでなく、研究や教育など医療にかかわるすべての事柄に及びました。必要ならば、どんなことでもやろうとしてきたのです。“自ら率先して行動する人”というのが、誰もが抱く彼女のイメージでしょう。
彼女はイェール大学、ダートマス大学、コーネル大学、ニューヨーク大学など一流の大学で教鞭を執り、その他、有名な施設や病院で指導を行ってきました。
功績も数多くあります。産婦人科・小児科基金の会長、全米科学アカデミーや軍における女性の衛生研究での貢献、イェール大学医学部同窓会長など、かかわった機関は数知れません。
また“初”とつく経歴も多く残しています。
アメリカ皮膚科学会では初めての女性会長となり、全米科学アカデミー医学研究所所長に女性で初めて選出されました。原爆傷害調査委員会と共に日本を訪れた初の皮膚科医でもあります。
日本では被爆者の診察にかかわり、放射能が健康に及ぼす影響についても調査しました。日本のケースでもガイドラインを作り、他の医師たちを指導することで、リーダー的な役割を担いました。また国民健康栄養調査に皮膚科の項目を取り入れたり、1970年代前半にはアメリカの健康に関する過去最大の総合調査を行ったりしました。この調査でも、彼女の尽力で皮膚科の項目が加わったのです。
●「私のやっていることは仕事だけ」
現在、彼女は週に3日の診療を続け、残りの2日は学術的な研究に費やしています。また月に1~2回はイェール大学病院に赴き、回診を行って患者を診ています。
彼女と同年代の大多数が、現役から退こうと考えていることは、本人も認めています。しかし結果的に、面白い仕事が多すぎて引退することに魅力を感じないのです。
彼女の元気の源は、食事ではなく仕事です。朝ポット1杯の紅茶を飲むだけで、自宅で夕食を取る時間まで何も食べ物は口にしません。
「母親たちは、“娘に朝食を食べるように言ってください”と頼んできますが、もし私がそういう発言をしたらウソつきになってしまいますね」と話します。
「私のやっていることは仕事だけです。それ以外では、あまり神経質にはなりたくないのです。」
ジョンソン博士は現在、“興味が持てて、やりがいのある”プロジェクトに携わっています。このプロジェクトは患者の診察の質を下げずに、さらに診療時間も短縮できるという内容のものです。
彼女は現在、皮膚科センターの設立を段階的に進めているのです。例えば患者が、遠く離れたニューヨークやイェール大学まで足を運ぶことなく、同じレベルの診療を受けられるためのセンターです。
センターが完成しても、ジョンソン夫妻がどこかに旅行したりするかと言えば、それは疑問です。
ジョンソン博士の夫は、こう語りました。
「私たちは旅が趣味ではありません。もちろん旅はよくしますが、船旅などに出掛けたら、きっと退屈で落ち着かないだろうと思います。何か有意義なことをする目的でどこかへ行くことが、私たちの理想の旅なのです。」
夫妻は年に3回イタリアのローマを訪れますが、旅行としてではありません。親交のあるローマの医学関係者に助言を与えたり、数々のプロジェクトに参加したりするためです。また南国のジャマイカやバハマなども訪問し、指導や研究、小児麻痺の予防接種やクリニックの立ち上げなどにもかかわっています。
夫婦でビジネス旅行をすることについて、彼は次のように述べました。
「いい変化だと思います。本当にくつろげますし、理想的な休日です。旅行者としてではなく異国で人助けができて、その国の生活に密着できるんですからね。」
投稿者 : kenkoo 11:28 | トラックバック (0)
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2006年09月27日
健康を信じるボブ・ホールドマン氏
65歳で熱心に自転車に乗っているホールドマン氏は、シニアオリンピックの競技参加者であり、運動競技者として活動的に人生を過ごしています。しかしホールドマン氏にとって健康であることは、ただの体作りよりもずっと大切なことです。心身一体的な健康は、体と心や精神の両方を指します。これは、体作りで筋肉を鍛える以上のこともするのです。
例えばサイクリングは、自分の家族のメンバーが、一緒に分かち合えるスポーツの1つです。家族とのエクササイズは、彼を身体的に活発にさせ、これが特別なつながりとなるのです。「自分の孫と一緒に外出して、活動的に過ごせるのは、とても楽しいことです。こうした交流は、本当に楽しい」とホールドマン氏は言います。
●精神、心、身体
ホールドマン氏は、“精神、心、身体の健全な発展”を強調し続ける組織、地元YMCAの地域開発サービス責任者となった当初、まず心身一体的な健康の概念というものに直面しました。現在、彼はこの組織の代表者となり、高齢者の健康に対する総合的なアプローチに取り組み、独立性を高め、より長く家で過ごせるように手助けしています。
Coventry Resources社は、1980年から介護保険を提供し、生涯ケア退職者コミュニティー(continuing care retirement communities)を発展させてきています。さらに、健康プログラムを通じてConvetry社は、肉体、知性、感情、社交性、精神性、職業性の6つの面を通じて健康を評価するコーディネーターとメンバーと結びつける手助けをしながら、これらすべての分野を改善していくプランを展開していきます。目標は、機能する能力を出来る限り長く継続させることです。
最初は、複雑なように聞こえますが、肉体的活動と、健康に関するその他の面のつながりを見つけることは簡単であるとホールドマン氏は言います。例えば、友人とのテニスは社交的および肉体的な要素を持っています。ホールドマン氏は、昼休みにエクササイズをする専門家たちが、仕事に戻るとより集中して仕事ができるというそのつながりを、プログラムを行っている際に発見しました。
●パーソナリティ
ホールドマン氏は友人のことや、自分がしていることについての哲学を話す時、かなり説得力があります。彼の義理の兄弟であるピーター・デスミット氏は、「彼はやろうとしていること、もしくはエネルギーを向けている矛先で誰かと触れ合ったとき、喜んでそのエネルギーを分かち合おうとします。彼は自分のエネルギーの領域へ人々を引き込むのです」とホールドマン氏のことを言います。
デスミット氏は、ホールドマン氏のことを、常に自分の人生に目的意識を持ち、歳を取っても長く続けられるような趣味の選択肢がある人だと説明します。ホールドマン氏は、多くのケアコミュニティーで法律家として、相談役の役割を果たし、米国高齢者ホーム・サービス協会(American Association of Homes for the Aging)とメリーランド高齢者ホーム・サービス非営利協会(Maryland Association of Not-for-Profit Homes for the Aging)といった組織で働いています。
ホールドマン氏の年齢は、退職年齢に近づいてきていますが、彼はまだ今すぐ、仕事をやめることはないだろうとデスミット氏は考えています。「現段階で彼は、何らかの形で社会に貢献する必要があるのと考えています」
ホールドマン氏は、この10年以内には退職するだろうと話します。しかしその間にも、彼がやらなくてはならない仕事はまだあり、勝たなくてはならないライバルたちもいると言います。
投稿者 : kenkoo 15:47 | トラックバック (0)
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2006年04月17日
科学界における伝説の男の歴史 ~フィリップ・アベルソン~
●小学校の先生の言葉
今から80年近く前、ある小学校の先生は受け持ちのクラスの生徒たちにこう言いました。「このクラスの生徒一人ひとりには特別な才能と可能性があります。みんなの責任は、その才能が何かを探し、それを使うことです。」
この教室にいた生徒の1人、フィリップ・アベルソン少年はこの言葉をよく覚えていました。そして、成功した科学者で、解説者でもあるアベルソン博士は、90歳近くなった現在でも、科学界を探求し、影響を及ぼすことで、この責任を果たし続けています。
●科学者としての活躍
アベルソン博士は、サイエンス誌の編集長を務めた22年間に、科学リサーチに関する公開論議について600件を超える社説を執筆しました。博士の名は、原子力潜水艦の動力供給やマンハッタンプロジェクトなど、関与した有名なプロジェクトなどでも知られています。
「アベルソン博士は、実在する最も重要な科学者のうちの一人だと言っても過言ではないだろう」とサイエンス誌の現編集長エリス・ルビンステイン。
アベルソン博士には、科学栄誉賞、米国科学委員会のヴァネバー・ブッシュ賞、全米科学アカデミーのパブリック・ウエルフェア・メダルなど多数の受賞歴があります。また米国科学振興協会(AAAS) は、博士に敬意を表し、その科学的偉業を認めるためにフィリップ・ハウゲ・アベルソン賞を設立しました。
●「名誉老人」
現在、アベルソン博士は米国科学振興協会(AAAS)内のオフィスで、自身の活動のコーディネートをしています。博士は、同協会における自身の公的な立場を重要視せず、自らを協会の「名誉老人」と称しています。しかし、米国科学振興協会(AAAS)のアラン・レシュナー最高責任者によると、アベルソン博士のシニア・アドバイザーと副編集長というポジションは、お飾りだけの存在をはるかに超えているということです。
「博士のオフィスの前には、私を先頭に、プログラム、科学的、そして編集上の問題に関するアドバイスを求める人たちの行列ができています。博士の経験と見識は、我々がAAASの将来の方向性を決めるのには不可欠なのです。また、博士は今でも、毎年、新しいプログラム的なイニシアチブの提案と実践をしています」とレシュナー氏。
●アベルソン博士の長寿の秘訣
アベルソン博士は同僚と共に、自身の最も得意な分野であるヒューマン・ヘルスの1日セミナーに取り組んでいます。
「人の身体について学べば学ぶほど、身体がいかに素晴らしい機械であるかがわかります」とアベルソン博士。「皆は自分たちがいかに恵まれた存在であるかに気付かず、身体をいじめているのです。」
博士は、生活を、簡単で実践的なガイドラインで管理しています。例えば、適切な食事と運動は重要な日課の一部となっています。博士は毎朝6キロの早歩きを終えた後は、自家製のフルーツカクテルジュースを飲んでいます。
しかし、身体的な健康は全体のほんの一部にすぎないと博士は言います。博士は12冊の科学ジャーナルを定期購読し、今後の研究に役立つ重要な情報を探すため、毎日、それらに目を通しています。博士の情報収集に対する情熱は、土木技師であった父親から受け継ぎました。
「私の父には、確固とした理念がありました。彼は新しい技術方法に立ち遅れることなく適応していました。いわば、父は息子に手本を示していたのです」とアベルソン博士は言います。
●父親からの教え
父親が教えた理念は、アベルソン博士が大きくなる前にしっかりと心に植え付けられました。ワシントン州プルマンにあるワシントン州立大学で化学を専攻していたアベルソンは、自己に厳しくあり続けました。多くの学生が実験室に着くまで、その日に行う実験概要のマニュアルを読まないでいるのに対し、アベルソンは前の晩にマニュアルを読み、実験室に入ったときには、その日の実験で具体的に何に取り組むかという計画ができていました。
このような授業に対する効率的なアプローチにより、アベルソンは学期内に履修する教科を早く終わらせることができました。そして余った時間を自分の好きな実験にあてました。現在でもアベルソン博士は、毎日、その日に成し遂げるべき多くのタスクをリストに書き出し、優先順位を決めています。
●1日の行動を計画する
「1日により多くのことを達成するために、その日の行動を計画する習慣をつけるのです。」
この効果的な方法は、多くの優秀な同僚の中でアベルソンをスター的存在にしました。彼の評判が広まるにつれ、自分の時間と決定すべき事項を要求するようになりました。
「時代の流れと共に、機会も変わります」アベルソン博士は言います。「科学的な事業や活動において、常に新しい進歩があります。誰かが何かを達成していくと、周囲の人々は、どこかの委員会の委員を務めて欲しいといいます。状況は常に進化しているのです。」
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2006年01月27日
自然の秘密を徹底的に調査する
レイ・クライスト博士の人生は一周して元に戻ってきました。少年時代、ペンシルベニア州にある農場の自然に魅了された博士は、最終的に原子力時代の幕開けにおいて、極めて重要な役割を果たすことになります。101歳になってもクライスト氏は、いまだに自然の秘密を明らかにしようと取り組み続けています。
「私はただ物事の本質を理解したいだけなのです。私を突き動かす原動力は、好奇心なのです」とクライスト氏は言います。
クライスト氏は最大の好奇心に駆り立てられ、毎朝7時30分に研究室に直行します。通常、博士はペンシルベニア州メシアカレッジのキャンパスにある研究室で午後6時ごろまで作業します。「職場に行くと好奇心が満たされるのです」と博士は説明してくれました。クライスト氏は1963年から、1ドルという微々たる給料をもらいながら研究室で働いてきました。「もしも満額で給料をもらっていたら、個人的に興味のある事柄を追い求めることができなかったでしょう」と博士は言います。クライスト氏は、自分の道のりを切り開いていくのが好きなのです。なんという道のりでしょう!
クライスト氏は1920年にディッキンソンカレッジで化学の学位を取得した後、コロンビア大学に移り、1926年に化学の博士号を取得しました。その後、特別研究員としてヨーロッパに移りました。1930年代後半はベルリンとミュンヘンで過ごしたクライスト氏は、ノーベル賞を受賞したアルベルト・アインシュタインやハロルド・ユーリーといった第一線の科学者たちと親しくなりました。
19年間、コロンビア大学で教師をした後、クライスト氏はウェスト・バージニアに移り、ユニオンカーバイドの基礎研究機関(Institute for Basic Research)を率いました。「これ以上いい仕事はありませんよ」とクライスト氏は当時を振り返りました。
そしてクライスト氏は、次第に工業社会の環境効果について関心を持つようになりました。彼は自然環境に化学製品が流出するという事件に悩まされたのです。その後、博士は自然そのものが清浄化の役に立ちはしないのかという考えを持ちました。
1963年、博士は調査に専念するためユニオンカーバイドを辞めました。博士はペンシルベニア州に戻り、ディッキンソンカレッジ、そしてメシアカレッジへと移りました。化学的な学術論文を多数残した後も、いまだにクライスト氏は仕事に没頭しています。彼が手掛けている現在のプロジェクトは、紙を作るのに用いる木材パルプの副産物である、リグニンという粉末状の物質に関係したものです。何年もの間、リグニンは無益な廃棄物であると考えられていました。しかしクライスト氏は、リグニンは水を吸収するスポンジのように、有毒金属を吸収できるということを発見したのです。クライスト氏はサウスカロライナの製紙会社と共に、汚染水から汚染物質を吸収するリグニンの固形シートを開発しました。そして最終的には、この製品を市販品として売り出すことも考えています。
また、クライスト氏は明るい面を見て、信じ続ける人です。
クライスト氏が黄斑変性により視力がかなり悪化した時は、彼の同僚と共に光を拡大し、周辺視野を最大限に広げるプリズムを有した眼鏡を開発しました。今では、実験器具の目盛りも読めるまでに回復しました。「これは大きな違いですよ」と博士は言います。
クライスト氏は、自分のインスピレーションは、忙しくすることから発生するものと信じています。
「もしあなたが座りっぱなしで何もしなかったら、何のアイデアも浮かびません。だから外に出て、何かした方がいいですよ」とクライスト氏は言います。
「考えてみて、あなたの心を刺激するものがあれば、その種を蒔いて育ててみてください。物事は小さなところから始まりますが、それらは最終的に大きなものになります。私はただ、自然が私に何を語りかけているか注意を払っているだけなのですから」
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